川崎病診断までのまとめ②

2016年4月21日(木)

結局朝になっても40℃のままだった。

この日から私が一瞬でも手を離すだけで泣いて暴れてどうしようもなくなる。今までにないほど暴れん坊になり、常に癇癪を起こしているような状態。もしかしてこれは機嫌が悪くてどうしようもないことで有名な突発性湿疹か?と思うようになる。

夕方になると41℃へと上がったため座薬を使うも、効果はない。

次男が3月に生まれて完母で育てながらも数日間寝ずに長男を看病しているため、私もさすがに疲れてくる。いくらなんでも長すぎないか?

 

2016年4月22日(金)

朝から座薬を使用したが、相変わらず何も効果はない。

変わったことといえば、昨日より更に不機嫌になったことだけ。ご飯もダメ、飲み物もダメ、ハグも、大好きな電車のオモチャも、YouTubeも…朝から夕方まで、疲れて眠る数十分を除いて、ずーっと泣き叫ぶ異常事態である。

長男の不機嫌や自身の寝不足も相まって半ばノイローゼ気味になっていた私は、小児科を2件回って2人の医者から風邪だから様子を見てくれ、と言われたこと自体に疑問を覚えていた。医学は素人だが長男の母業はこの世で私だけがプロなのだ。その私がおかしいって言ったらおかしいのである。間違いない。

 

ここで自分の感覚を信じ、次男を出産した多摩小児総合医療センターへと長男を担ぎ込む英断を下す。(あとでわかったことだが、多摩小児総合医療センター世界でも有数の川崎病患者受け入れ病院であり、最先端の治療と知識で川崎病に対応している病院であった。まさに英断としか言いようがない)

 

ERの先生は20分ほどかけてしつこいとも言えるほど丁寧な問診をしてくださり、私に「まず症状から、アデノウイルス溶連菌感染症の可能性があるので検査をしたいのですが、よろしいですか?」と仰った。もちろんです、と長男を預け、水分を補うための点滴をしながら採血をしていただく。

血液検査の結果はアデノも溶連菌も反応がない。が、白血球の値はやはり高く、身体で炎症が起きていることは確かであった。

 

ここでついに先生から川崎病という病気の疑いがあるかなと思います」と言われることになる。川崎病について詳しく説明していただき、無知な私は恥ずかしながら川崎病の存在をここで初めて知ることになる。

 

病気の詳細については下記の記事で説明したので目を通していただければと思う。

 

 

vs-kawasaki.hateblo.jp

 

川崎病の急性期においての診断基準は、下記5つ以上の症状が伴うこと、ないしは4つ+冠動脈の拡大や瘤が確認されて他の疾患の可能性が除外されること、であるそうだ。

  1. 5日以上続く発熱
  2. 両目の充血、結膜の発赤
  3. 唇の発赤、いちごの様な舌
  4. 不定形な発疹
  5. 手足のむくみ、指先の発赤
  6. リンパ節の腫れ 

長男の症状としてこの時点で出揃っていたものは、5日以上続く発熱唇や喉の赤み目の充血リンパの腫れ。4つしか満たしていなかったため心エコーで冠動脈の腫れを診るが、異常は見られなかった。

 

この日は診断がつかず(つけられず)、月曜日までに何かあれば救急を受診し、何もなければ月曜に外来で来るように指示を受けて帰ることに。落ち込みやすい主人はネットで検索しまくってノイローゼになる。大丈夫大丈夫!と笑っている私も、心の中では打ちひしがれていた。原因不明の病ってなんなんだよ、と。

 

病院で点滴を打っていただいて座薬も挿入したのだが、帰宅後も40℃。深夜に再度座薬を入れるも変わらず。ずっと寝ていないから、長男がグッタリしている隙に少しでも寝て体力をつけねば看病にも支障が出るとわかっていても、不安で眠れない夜であった。

 

そして入院へ続く。