一泊2日の外泊

9:00に迎えに行く。久しぶりの外にテンションが上がる長男。車で待機する夫を見て、体を震わせながら喜んだ。それだけで泣きそうになる私はババアである…

 

森林浴をさせたくて公園へ行ったのだが、ずっと寝たきりだったためか足元がおぼつかない。心なしか筋力が落ちたようにも見える。ヨタヨタしてしまう。

 

外泊中の出来事はブログに記してもただの家族エピソードになってしまうため割愛させていただく。ひとつだけ言えるのは、やっぱり家族はみんな揃っているのが幸せだということ。子供を愛している、一緒にいたいということを強く感じたということである。

 

外泊が終わり病院へ帰る。

せっかく帰れたのにまた病院!?と言わんばかりに長男は泣き叫ぶ。そりゃそうだ。ぬか喜びさせてしまった。

 

もう少しだけ頑張ろう。

入院4〜6日目

入院4日目

結局あのあとすぐに起きてしまい、心エコーはとれなかったようだ。睡眠薬の投与をして、今日の午後に検査をするということだった。同意書にはサインしておいたのに、直接私に会って許可を得るまでは決行しないでいてくれる医師の計らいに感謝である。ありがたい。

 

入院5日目

心エコーの結果、血管の太さなど全て問題なし。

アスピリンも1日3回から、朝の1回だけの処方に減薬。

 

入院6日目

外泊許可がおりた。明日から1泊2日の外泊が決まる。

魚のムニエルとポテトサラダを美味しそうに食べていた。

入院3日目

昼ごはんを食べながらキレていた。相変わらず不機嫌だ。

川崎病で不機嫌になるのは、全身の毛細血管に炎症をきたしていることで身体中が痛かったり熱かったりするためだそうだ。川崎病は別名不機嫌病とも呼ばれるほどらしい。

 

昨日37℃になったものの、すぐに下がってからは症状も出ていないそうだ。発疹も少しずつ落ち着いてきた。不全型ということで、出揃っていなかった症状が悪あがきのように出たのでは、ということだった。

 

午前中に心エコーをとろうとしたら暴れて無理だったようで、医師は午後の心エコーでは睡眠薬を投与したいと仰った。睡眠薬の投与について説明され、同意書に記入するようお願いされたが、「私が寝かしつけますので、睡眠薬を使わずに1度チャレンジしてみてもらえませんか?」と答えた。使わなくて済むなら、使いたくないのだ。

 

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写真だと見えづらいかもしれないが、足にも少し発疹が出ている。

 

暴れて泣き叫ぶ不機嫌な長男を数時間かけて寝かしつけ、医師に声をかけて帰宅した。

念のため、同意書へのサインはしておいた。

入院2日目

10:00にガンマグロブリン点滴が終了。

このあと24時間以内に川崎病の症状が現れなければこのままで良いのだが、症状が再燃してしまえば再びガンマグロブリンを投与しなければならなくなる。

祈ることしかできない歯がゆさに苛まれる。

 

長男は点滴治療により落ち着いたかと思われたが、午後に発疹が出現。夕方には37℃の発熱も確認した。

このまま落ち着けば大丈夫らしいのだけれど…

 

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べたーっとした発疹が出ている。

 

主人は手の骨折を手術することに。バカである。

入院1日目

入院して一晩明け、10:00からガンマグロブリン製剤の点滴投与がはじまった。

 

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どんなに解熱剤を使っても下がらなかった高熱は、投与開始からほどなくして36℃に下がった。少しホッとしつつも、紛れもなく川崎病だったことを痛感した。

 

アスピリンという動脈瘤が出来づらくするための薬を一日に3回飲むことになた。血液をサラサラにする効果があるようだが、血が止まりにくいために怪我には要注意とのことだ。薬効とは一長一短なものである。

 

余談だが、主人と喧嘩をした。主人は右手を脱臼骨折し、川崎病とは別件で病院へ行くという、なんとも私たちらしいバカなことをした。

心労や看病による疲れ、川崎病という未解明の病に対する苛立ちや不安、これらは喧嘩(八つ当たり)の動機には充分だ。気をつけて欲しい。

川崎病診断、入院へ

相変わらずの不機嫌で体温も40℃のまま朝を迎えるも、月曜まで我慢だ、と様子を見ていた。川崎病の症状について留意しつつ、注意深く観察しながら看病をする。

長男の手を握っていてふと見てみると、指先が赤い。第一関節から上が真っ赤になっている。冷えないように履かせていた靴下を脱がせて足を見てみると、足の裏や指先といった皮の薄い部分も赤い。あぁ、これ川崎病の症状がどんどん出てきたんだろうなぁ…なんて思いながら、覚悟していただけに意外と動揺もしない私だった。

もうちょっとだけ、もうちょっとだけ様子を見よう、そう言いながら入院になる覚悟や準備を進めているうちに、舌がイチゴのようにブツブツ赤くなっているのも確認した。BCGを打った跡が赤くなっていることにも気付いた。これもそうなのだろうか。

 

救急へ行き「新しい症状が2〜3つ増え、素人目から見ても川崎病なんじゃないかと思いますので診察をよろしくお願いします」と伝えると、先生は「うん、そうだねぇ…」と再び最初の発熱からの時系列を細かく聞いてきた。そして注意深く長男を観察し、奥から他の先生を2人呼んでこられ、3人揃って症状の出揃いを確認。その後、私に聞きたくなかった言葉を仰った。

川崎病の不全型、という診断で良いと思います」

覚悟はしていたので驚きもしなかったし、ハイ、では入院ですね、と淡々と事務作業を進めていった。

 

詳細な病気の説明と治療方針について伺い、長男はレントゲンの撮影と採血、そして入院に伴い点滴の針を手の甲へ刺し固定。1歳児なのでガッチリと取れないように留める。次男を完母で育てているため、付き添いで泊まる選択は取れなかった。胸が痛くてどうしようもなかったが、まずは急性期をしっかり凌がなければ。

 

明日の朝からガンマグロブリンという点滴を24時間投与し、様子を見ていくことになった。ガンマグロブリンについては詳しく調べた記事を書いたので参考にして欲しい。

 

 

 

川崎病診断までのまとめ②

2016年4月21日(木)

結局朝になっても40℃のままだった。

この日から私が一瞬でも手を離すだけで泣いて暴れてどうしようもなくなる。今までにないほど暴れん坊になり、常に癇癪を起こしているような状態。もしかしてこれは機嫌が悪くてどうしようもないことで有名な突発性湿疹か?と思うようになる。

夕方になると41℃へと上がったため座薬を使うも、効果はない。

次男が3月に生まれて完母で育てながらも数日間寝ずに長男を看病しているため、私もさすがに疲れてくる。いくらなんでも長すぎないか?

 

2016年4月22日(金)

朝から座薬を使用したが、相変わらず何も効果はない。

変わったことといえば、昨日より更に不機嫌になったことだけ。ご飯もダメ、飲み物もダメ、ハグも、大好きな電車のオモチャも、YouTubeも…朝から夕方まで、疲れて眠る数十分を除いて、ずーっと泣き叫ぶ異常事態である。

長男の不機嫌や自身の寝不足も相まって半ばノイローゼ気味になっていた私は、小児科を2件回って2人の医者から風邪だから様子を見てくれ、と言われたこと自体に疑問を覚えていた。医学は素人だが長男の母業はこの世で私だけがプロなのだ。その私がおかしいって言ったらおかしいのである。間違いない。

 

ここで自分の感覚を信じ、次男を出産した多摩小児総合医療センターへと長男を担ぎ込む英断を下す。(あとでわかったことだが、多摩小児総合医療センター世界でも有数の川崎病患者受け入れ病院であり、最先端の治療と知識で川崎病に対応している病院であった。まさに英断としか言いようがない)

 

ERの先生は20分ほどかけてしつこいとも言えるほど丁寧な問診をしてくださり、私に「まず症状から、アデノウイルス溶連菌感染症の可能性があるので検査をしたいのですが、よろしいですか?」と仰った。もちろんです、と長男を預け、水分を補うための点滴をしながら採血をしていただく。

血液検査の結果はアデノも溶連菌も反応がない。が、白血球の値はやはり高く、身体で炎症が起きていることは確かであった。

 

ここでついに先生から川崎病という病気の疑いがあるかなと思います」と言われることになる。川崎病について詳しく説明していただき、無知な私は恥ずかしながら川崎病の存在をここで初めて知ることになる。

 

病気の詳細については下記の記事で説明したので目を通していただければと思う。

 

 

vs-kawasaki.hateblo.jp

 

川崎病の急性期においての診断基準は、下記5つ以上の症状が伴うこと、ないしは4つ+冠動脈の拡大や瘤が確認されて他の疾患の可能性が除外されること、であるそうだ。

  1. 5日以上続く発熱
  2. 両目の充血、結膜の発赤
  3. 唇の発赤、いちごの様な舌
  4. 不定形な発疹
  5. 手足のむくみ、指先の発赤
  6. リンパ節の腫れ 

長男の症状としてこの時点で出揃っていたものは、5日以上続く発熱唇や喉の赤み目の充血リンパの腫れ。4つしか満たしていなかったため心エコーで冠動脈の腫れを診るが、異常は見られなかった。

 

この日は診断がつかず(つけられず)、月曜日までに何かあれば救急を受診し、何もなければ月曜に外来で来るように指示を受けて帰ることに。落ち込みやすい主人はネットで検索しまくってノイローゼになる。大丈夫大丈夫!と笑っている私も、心の中では打ちひしがれていた。原因不明の病ってなんなんだよ、と。

 

病院で点滴を打っていただいて座薬も挿入したのだが、帰宅後も40℃。深夜に再度座薬を入れるも変わらず。ずっと寝ていないから、長男がグッタリしている隙に少しでも寝て体力をつけねば看病にも支障が出るとわかっていても、不安で眠れない夜であった。

 

そして入院へ続く。

川崎病診断までのまとめ①

2016年4月16日(土)

家族で買い物に出かける、いつもと同じ幸せな土曜日。ふと長男の顔を覗くと、目やにがとても多くて思わず「わぁ!」と声をあげる。

「結膜炎かなぁ」と思い土曜日も診察している眼科へ行くも4時間待ちで断念。小児科へ行って診てもらうと「風邪からくる結膜炎ですね」とのことで、様子を見るように言われる。

目の症状は怖いから病院へ向かったが風邪ぐらいなら眠れないほど酷くなければ薬を飲ませずに様子を見るようにしているため、点眼薬のみ使用していくことに。

 

2016年4月17日(日)

少し風邪気味ではあるものの、目薬のおかげで目やには落ち着いてきた。本人はいたって元気。鼻水が出る程度だったので、以前からの予定通り電車を見に出かける。嬉しそうに走り回る小鉄(子供の鉄ヲタ)な長男を見て私も幸せ。

帰宅すると少し身体が熱く、熱を測ると37.6℃だった。

風邪気味なのに外出しちゃって、かわいそうなことをしたなぁ…と思いつつも、微熱程度なので特に気にせず様子を見ることに。

 

2016年4月18日(月)

朝になると38.2℃まで上昇。とはいえ38℃ぐらいだと全然本人は元気だし安静にするために横になって休むなんてことも1歳児にはできないため、鼻水をこまめに吸い取りながら冷やして様子を見る。

が、そのまま下がることなく夜には38.8℃まで上昇。朝になったら下がればいいなぁと祈りながら寝る。

 

2016年4月19日(火)

38.9℃。この時点で少し違和感を覚え始める。大人も子供も熱は上がったり下がったり、変動があるものと思っていた。一切熱が下がらないで上がっていくことなんてあるのだろうか…。昨日までは熱があっても元気だったが、39℃近くなったこともありグッタリし始めてしまった。

ついに夜には39℃まで上がり、深夜に40℃まで達した。救急へ行く前にネットで検索してみたら「子供はすぐ40℃まで上がる」とのことだったため見守ることにした。(不用意に救急へ行くことで本当に一刻を争うような子供のタイムロスにはなりたくないため、救急については慎重に判断している)熱性痙攣が起こらないかハラハラして一睡もできず。

 

2016年4月20日(水)

深夜から下がることはなく、朝も40℃をマーク。うーん。

昼過ぎには本人も横になったまま動こうとしなくなり、呼吸も荒くなった。鼻水もかなり出ている。熱は41℃まで上がる…。辛そうなのでせめて解熱剤ぐらいもらっておこうと思い、最初に行った小児科とは別の小児科へ向かう。

「風邪です、座薬を出しておくので様子を見ましょう」とのこと。吸引機で鼻水を吸いだしてもらい、帰宅。

 

座薬を挿入し、これで熱も下がるだろう…と様子を見るも、41℃から40℃へ下がるだけで一向に楽になる気配はない。発汗はあるものの、40℃からは下がらない。朝になれば楽になるのか。祈るように寄り添う。

 

②へ続く…

川崎病再発

再発までの経緯と、再発における治療・入院

再発までの経緯

入院〜退院まで

入院1日目(再発) - 打倒、川崎病。

入院2日〜8日目(再発) - 打倒、川崎病。

入院9日目(再発)と誕生日 - 打倒、川崎病。

入院10日〜17日目(再発) - 打倒、川崎病。

退院(再発) - 打倒、川崎病。

定期健診

血液検査のため通院 - 打倒、川崎病。

川崎病定期検診(再発後2ヶ月目) - 打倒、川崎病。

川崎病発症

診断までの数日間のまとめ、入院中の経過

診断までのまとめ

入院〜退院まで


入院1日目

入院2日目

入院3日目

入院4〜6日目

一泊2日の外泊 

入院9日目、退院

定期健診

一ヶ月後の定期検診 

二ヶ月後の検診

 

再発までの経緯と、再発における治療・入院

再発までの経緯

入院〜退院まで

入院1日目(再発)

入院2日〜8日目(再発)

入院9日目(再発)と誕生日 

入院10日〜17日目(再発)

退院(再発)

定期健診

血液検査のため通院 

川崎病定期検診(再発後2ヶ月目)